―――小野町の造り酒屋で育った幼少期のことを教えてください
家が酒蔵でしたから仕込みのシーズンは早朝、米を大きな釜で蒸します。それが胃袋を締めつけられるようないいにおいで、目覚まし代わりでした。 小野町は標高965メートルの矢大臣山(やだいじんやま)に登ると、ちらりっと太平洋が見える町。小さいころから毎日のように、隣のいわき市小名浜で水揚げされた魚を食べていました。 小名浜の魚というと、まずカツオ、それからイワシやサンマ、サバ。寒流と暖流がぶつかってもみ合う潮目(しおめ)の海で獲れる魚は“常磐もの”といわれ、ものすごくおいしいんです。周囲の阿武隈山地で獲れる雉や山鳥などもよく食べました。まあ、酒の肴には不自由しない場所でしたね(笑)。
―――家業を継ぐために醸造学、発酵学の道に進んだのですか
高校3年生のときは理科の先生になりたかったのですが、受験直前、実家の造り酒屋がほかの3社の酒蔵と合併し、郡山に移転することに。それで新しい酒蔵の技術者が必要だということで、急遽、進路を変更して日本で唯一、醸造科学科がある東京農業大学に入学しました。僕にとっては、それが大正解! この大学では学生も全員、自分の樽で酒を仕込むんです。それで毎日のように顕微鏡で酵母や乳酸菌、麹菌を見ているうちに、本当に発酵が好きになりました。その後、研究にのめり込み、結局郡山の酒蔵に入社することはありませんでした。
―――故郷、小野町でオリジナル日本酒の開発に関わられたそうですね
町長から町の活性化について相談を受け、オリジナル日本酒の開発を提案しました。小野町産の酒米「福乃香」を100%使用し、僕の教え子で、史上屈指の優れた技術をもつ、国指定の現代の名工である、奥の松酒造の殿川慶一さんに酒造りを依頼。こうして誕生した純米吟醸酒を「東堂山勝馬(とうどうさんかちうま)と名づけました。 小野町はかつて馬産が盛んでしたし、東堂山という馬頭観世音もあり、さらに福島市には全国から人が集まる福島競馬場があります。縁起がよいということで、競馬だけではなく、野球大会などに関わる人にも人気で、あっという間に毎年完売しています。香り高くきれいな味わいで、切れ味鋭くパッと消える。とんでもなくいい酒です!
―――福島の環境は、酒造りに適しているのでしょうか
福島県には福島盆地、郡山盆地、会津盆地など、盆地が多く、周囲の山々のあっちこっちから伏流水が湧き出ています。雨が山肌にしみ込んで湧き出る伏流水には、酵母の栄養源となるミネラルが豊富。この水が、力強く酒の発酵を進めます。 また、昼夜の寒暖差が大きい盆地の気候は、良質な酒米を育むのにも好条件です。あとね、冬の福島の酒蔵はどこも底冷えするんです。足元から冷気が伝わってきて、その寒さといったら…! でも、この環境がもろみの発酵に理想的なんです。
―――全国新酒鑑評会で金賞受賞数9回連続「日本一」という、前例のない快挙をなしとげるなど、近年、福島の日本酒は全国的に高く評価されていますが、その要因は?
福島県ハイテクプラザの職員だった鈴木賢二さんが熱心に吟醸造りを指導した功績が大きいでしょう。また、酒蔵どうしの技術交流が盛んなことや、蔵元が近年代替わりして、新しい感覚を酒造りに持ち込んだことも大きい。つまりは、「酒造りは人づくり」。この言葉に尽きると思います。
―――福島の酒と楽しみたい郷土食を教えてください
福島県には数知れないほどおいしいものがあり、胃袋がいくつあっても足りません。そのなかから僕の好みを3つの地域別に選ぶとすると、まず「浜通り」ではいわき市名物うにの貝焼きが最高。これはよだれピュルピュル、ほっぺた落ちる。ちょっと目玉飛び抜けるぐらい高いんだけど、憧れの酒肴です。アンコウなどの魚の肝をつぶして生の身に和える肝揉(きもみ)も最高。 「中通り」では、いかにんじん。あと石川町や棚倉町、矢祭町など県南の猪鍋(ししなべ)。天然の猪肉はうまみ濃く、大好きです。 「会津」ではニシンの山椒漬け、そして会津坂下町の馬刺し。おっと、蕎麦も忘れちゃいけない。福島県はもう全部おいしくて、紹介しきれません。
―――最後に、ふくしまの酒への「愛のメッセージ」をひと言!
今、福島の酒は欲しくても買えないような、いい酒ばかりです。ただね、天狗になってはいけません。売れるからといってどんどん酒蔵の規模を大きくするのではなく、「現状を頑なに守りながら、いい酒を造る」という気持ちを失ってはいけません。また、東京に出荷するのもよいけれど、地元の人にもっと飲んでもらって、誇りを持ってもらうことも大切です。初心忘るべからず。これは教え子たちにも伝えていることです。