真の「地酒」を目指して、
次の一歩を踏み出す
矢内賢征(9代目蔵元杜氏)
1988年生まれ。早稲田大学経済学部卒業後、2009年に入社。蔵元として経営の指揮をとるとともに、杜氏として製造最高責任者も務める。
若き情熱を酒造りに注ぐ
「地酒って何だろう」……福島県石川郡古殿(ふるどの)町に建つ豊国酒造の代表・矢内賢征(やない けんせい)さんは、そんな問いを続けながら、日々酒造りと向き合っている。
蔵元の家に生まれたが、「いずれ継ぐなら、それまでは好きなことをしよう」と東京の大学に進学、そのまま東京で就職するつもりでいたという。「その頃、たまたま蔵元のルポルタージュ『愛と情熱の日本酒』(山同敦子著)に出会いました。それまで日本酒は造る人も売る人も飲む人も高齢者というイメージが強かったのですが、若いからこその情熱で酒造りをしている人たちの姿を知って考え方が変わりました。早く蔵に戻ることにも意味があると思ったんです」。
大学卒業後の2009年、賢征さんは蔵に戻った。当時蔵では、長年酒造りを支えてきたが、高齢のため引退したいという杜氏を引き留めている状況だった。「今こそ自分が酒造りを担わなければ」という思いで、県の清酒アカデミー職業能力開発校で学ぶことに。通常、3年間のカリキュラムを特例で半年間にしてもらい、短期集中でノウハウを叩き込んだのだ。
人も蔵も、
一歩ずつでも前へ
豊国酒造が目指すのは酒造りの王道。それを体現するのが創業以来造り続ける「東豊国」だ。「地元の人たちの喜怒哀楽に寄り添う酒。蔵元として守り続けるべき銘柄だと認識しています」。
一方、賢征さんが初めて生み出したのが、2011年1月発売の「一歩己(いぶき)」である。こちらはうって変わって、「旧来の日本酒に対するアンチテーゼ。クールでモダンな味わい」を打ち出した酒だ。この酒を世に出し、これからという時、東日本大震災が起きたが、自ら名付けた「一歩己」という言葉に励まされた。「一歩ずつでも前へ。今できることをするしかないと気づきました」。
あれから10年、一歩己の味わいも当初の華やかさから旨味重視へと変化し、ブランドの方向性も定まってきた。ここ数年は、地元の農家と協力しながら酒米作りにも取り組んでいる。「一歩己は地元で育った酒米・夢の香と美山錦で仕込んでいます。単に地元の米を使えばいいわけではなく、農家と蔵元の思いが合致してこそ意味がある」。
そこで、冒頭の「地酒ってなんだろう」という問いに立ち返る。地元の米と水、気候風土で醸した酒を地酒と呼ぶことはたやすいが、賢征さんの思いはそこにとどまらない。
「地酒とは、地域の人たちが誇りに思える酒を指すのだと思います。そして、県外や海外の人たちにも、きちんとブランディングして自分たちの酒を評価してもらうことも誇りにつながります。そのためには、自分自身がもっと地域のことを知り、誇りに思わなければ」
賢征さんは、さらなる一歩を踏み出そうとしている。
蔵の内観。豊国酒造の酒は阿武隈山系のやや硬めの伏流水で仕込むため、酵母が発酵し過ぎるのを抑えるために超低温で発酵させるのが特徴だ
左から、長く地元で愛され続け、旨味と甘味のあるやわらかい味が特長の「東豊国 普通酒」、伝統+格式+モダンをコンセプトに9代目矢内賢征さんが生み出した「一歩己 純米」、米本来の味が堪能できる芳醇旨口の「超 純米」
CHANGE_最大の転機は?
2011年1月、自ら醸した銘柄「一歩己」を立ち上げた時。まさにこれがはじめの一歩で、自分の酒造りはここから始まりました。
PERSON_影響を受けた人は?
先代の杜氏・簗田博明さん。「杜氏が目指すべきは、賞を取ることではなく、いかに酒造りを走り抜けるか。いい時も悪い時もつねに高い位置でモチベーションを保ち続けることが大切」と教えられました。
FUTURE_あなたの未来像は?
10年後、20年後も自分や蔵、地域のことを楽しく語っていられるのが理想です。地域における酒蔵の役割は、単に酒造りだけでなく、人々が楽しく集える場をつくることであります。「豊国ってなんだかいつも楽しそう」というワクワク感をみんなと共有したいですね。
- 名称
- 豊国酒造
- 創業
- 天保年間(1830~1844年)
- 住所
- 福島県石川郡古殿町竹貫字竹貫114
- 電話
- 0247-53-2001
- 営業時間
- 9:00 〜 17:00(定休日:土・日・祝日)
- その他
- ショップあり、見学・試飲不可